こんにちわ!ぺぱみるです!
今回はあの2023年の大ヒットしたドラマ
『VIVANT』の最後に乃木とノコルが交わした言葉、
「皇天親無く惟徳を是輔く」という漢文。
そして同じドラマに登場し乃木と野崎の
飛行機の機内で乃木が伝えた
「鶏群の一鶴眼光紙背に徹す」という
2つの言葉の意味について解説します!
「皇天親無く惟徳を是輔く」の意味
「皇天親無く惟徳を是輔く」とは、日本語で
「天帝は親切ではないが、ただ徳(とく)を重(おも)んじる」
という意味です。この言葉は、
天や神が直接的に人々を導くのではなく、
個人の徳や美徳が社会を支えるという考え方を
表しています。つまり、個人の道徳的な行為や
善行こそが社会や国家を繁栄させる
原動力であるということです。
なぜ乃木はノコルにこの言葉を伝えた?
このことわざが出たシーンは、ドラマ終盤にバルカにいるノコルと
日本にいる乃木が携帯でベキの事でやり取りをしていた時でした。
これにはこのような考察ができます。
ノコルは乃木憂介に
「ベキたちの墓はバルカに建てたい」
と言います。
そのあとに乃木は「皇天親無く惟徳を是輔く」と
「花はまだ手向けない」と答えました。
つまり、まだベキは故人ではなく現存していると
言いたかったのでしょう。
ドラマを見ていた方はお分かりかと思いますが、
乃木は銃を発砲したときに、ベキの急所を
ギリギリ外していました。
個人の徳とは、個人が持つ美徳や道徳的な価値観を指します。
この徳が重んじられることで、個人は社会において尊敬され、
信頼される存在となります。
また、個人の徳は他の人々にも良い影響を与え、
共同体全体の幸福や繁栄を意味します。
一方で、「皇天親無く惟徳を是輔く」は、
天や神による直接的な導きや恩恵を受けるのではなく、
個人の努力や行動によって社会や国家が
発展することを示しています。
この言葉は、個人の自己啓発や道徳的な成長の
重要性を強調し、個人が自らの徳を高めることで
社会全体の繁栄に貢献することが求められることを
意味しています。
ちなみに読み方は「皇天親無く惟徳を是輔く(こうてんしんなくただとくをこれたすく)」ですよ!
コメント